自由の国、ニュージーランドでライフ・デトックスのすすめ

ニュージーランドにワーホリできて早いもので半年経ちます。

マレーシアからのニュージーランド

同じ海外生活でも、ほぼ何も共通することがないので

“海外に住んでいた”アドバンテージもほとんど効かず。

そんな中で、日本や東南アジアでは恐らく経験することはなかったであろう

個人的にニュージーランドでできた最高の経験、ライフ・デトックスのお話です。

ライフ・デトックスとは、体内の毒素を排出するデトックスや、

SNSから意図的に離れるデジタル・デトックスなどと同じで

自分のライフスタイルへのデトックスのこと。

常識、ルール、信念の、本来いらない部分がぶわっと外に出て行くこと。

毒だし中は決して気分のいいものではなかったけど

気づけば、だいぶすっきりと軽くなっている自分がいました。

この小さな街には、なんでもあって、なにもない。

誰でも自分の好きなように生きていい土台がありました。

ライフ・デトックスのやりかたは簡単。

ここにある自由を最大限に活かして

思う存分人に会い、思う存分ひとりぼっちになってみて

思う存分不便を体験し、思う存分不便な自分になってみること。

ニュージーランドは、ちいさな国です。
最大の都市、オークランドも、にぎわう市内の中心は、徒歩30分くらいで完全にカバーできてしまいます。

働き方、ライフスタイル、健康や環境、社会保障への意識がとても高い先進国なのに

便利さ、街の発展、ものごとのスピードはアジアの新興国よりもずっと控えめ。

そして、それぞれのライフスタイルにあった住み分けができていて、

同じ街、同じ国籍や人種でも、個人によってまったく違う。

その違うもの同士は、こんなに小さな町でも無理に交わらなくていい。

ようするに、“なんでもあり”な穏やかな時間が流れている街なのです。

先進国でも、街は不便。

郵便は遅れる、電車やバスの時刻表もあまりアテにならない

お店は18時には閉まり、祝日の街はからっぽ。

祝日に休みたければ、お店を閉めればいい。
休日開店をビジネスチャンスと思う人だけが、お店を開ければいい。

ここでは、お店もお客さんも対等。

平日の9時~17時までしか開いていないお店もよくあります。

それでも買い物に来たければ、勤務時間の厳守をとやかく言う人もいないので、早く出勤して早く退勤すればいい。開いてる時間に行ける時間を作ればいい。

電車やバスが来ないなら、来るまで待てばいい。

スーパーが閉まっているなら、明日買い物にいけばいい。

長期休暇が必要ならば休めばいい。

誰かが休むなら、代わりに短期の代打を雇えばいい

それが当たり前になっているから、短期の仕事の需要、供給もばっちり

働く必要があれば、その時だけ働けばいい。

生活が回るのならば、しばらく働かなくてもいい。

必要になれば、必要な分だけまた働けばいい。

どんな仕事だろうと、生きゆけるお金が稼げるのであればそれはあなたの立派なお仕事。

職歴に空白があろうが、キャリアチェンジしていようが、“今ほしい人”にあてはまるのなら別にそれでいい。

タスクが片付けられるのならば、誰でもいい。

資本主義の成功を求めたっていい。

街の中には、プール、ジムつきのコンドミニアムもある。

ブランド品や、高級車だってある。

キャリアを追い求め、日々勉強、ビジネスを突き詰める人もいる。

そこで戦うために、たくさんの投資をしている人もいる。

日々必死で働いて、大きな額を稼ぐことが成功なら、追いかければいい。

ただ、最低限生きていけるだけの最低時給がちゃんとあるから

そんなの追い求めなくても別にいい。別に生きて行けるから。

服に穴があいていようと、デザインが古かろうと、どうこう言う人もいない。

ワーキングホリデーという、1年間でなんでもできる魔法のビザがある。

勉強も、仕事も、旅もなんだってできる。

使い方は自分次第。

広大な自然で過ごすも良し、都市で過ごすも良し

オフィスでも、農場でも、レストランでも、語学学校でも、どこでも過ごせる。

好きな場所で過ごし、好きな人とだけいればいい。

どこに住んでいる、何をしているからって、何か文句をつけてくる人もいない。

そんな人に運悪く会ってしまったら、逃げればいい。

“自分の方程式のみで生きて、違いがわからない人の幸せ”がそこにあるのだから

自分は自分のやることに集中して、合わない場所から離れればいい。

みんな自分の時間に忙しいから、そんなに気にしてない。

ちょっと何か言われても、どうせみんなすぐ忘れるから。

英語が苦手なら、英語を使わなくていい環境がある。

英語を勉強したいなら、そこから離れて冒険してみよう。

世界中からひとが集まるから、その他の言語を勉強したければ、先生はいくらでもいる。

言語だけじゃなくて、ライフスタイルだって、いろんな生き方の先生がどこにでもいる。

馴染めなかった?それも練習。馴染めるように、できることから続ければいい。

それが合わないなら、引き返していい。

どっちを選んでも、誰も何も言わないから。

これから先も、ここにずっといたいなら

今ここで足りていない分野の勉強をして、国の必要な人材になればいい。

キャリアチェンジしたければ、すればいい。

学校はいくらでもある。30代、40代も、家庭をもった学生だっていっぱいいる。

時間がかかっても、相手が必要と思ってくれる自分に変化することを止める人はだれもいない。

転職は何歳までに、そんな常識、どこにもない。

必要になってから準備すればいい。別に、遅くない。

人口100万人しかいない、この小さな街で

これだけの選択肢が整っている。

どれを選んでも自由。どこへ去っても自由。

不自由なのは、見えない未来と失う恐怖で動けなくなった自分だけ。

ここには、なんでもある。ただ、選ばなければどこへも連れて行ってくれない。

便利さや発展よりも、これだけの選択肢を残すことを選んだ街だから

多少不便でもしょうがない。それが原因で生きていけない人もそういない。

遅くまで働きたくない人の自由があるから、お店が閉まるし

自分の力ではどうしようもできないことがあるから、無いものはない。

それがこの街の答え。

だから、少し遅れてもいい。誰も怒らないんだから、一緒に待てばいい。

気が乗らないら来なくていい。旅に出てもいい。去っても戻ってきてもいい。

こんなにシンプルな自由があふれたこの街で

幸せになるか、不幸になるかも自分次第。

自由を最大限に使い切るか、決まりごとが心地良いかも自分次第。

落ち着くところにとどまればいい。

何をするのも、“場所”じゃない。ぜんぶの舞台はここにある。

あとは、誰と一緒に、どれに乗っかって、どこにたどり着くか。

ルールも、考え方も、人種も、信仰も、

なにもかもがどこまでも散らばった街。

そして、それが交わることもなくそれぞれ自分の好きに住み分かれる、“無理に混ぜない、交わらない”という多様性。

大きな自由を前に、あまりの違いにショックをうけて、どうしたらいい解らなくなるのもまた経験。

変な人に巻き込まれて“なんだこれ!?”となるのも経験。

理解できないことを、なんだか楽しそうにしている人に話しかけてみるのも経験。

何もかも揃っているのにまだ不幸な人が、何を考えているのかを知るのも経験。

自分を縛り付けていたものがいろいろ幻想と知った後で

気分が軽くなったら、それがライフ・デトックス。

何をしてもいいんだ。って教えてくれたこの街が、愛おしくなるのは

この街の自由の使い方を学んだときなのかもしれない。

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