人生嫌になるほど自分が嫌いになった時は、ぜひマレーシアへ。

特に何かを成し遂げた訳でもなく、ただ居ただけ。
それだけで、ここまで”なーんだ。このままでも大丈夫じゃん”
そんな魔法にかかり、そのまま自分がダメと思っていたことはことははすっかり過去の笑い話へ。

そんな不思議な魔法をかけてくれる夢の国は、はるか南、往復4万の航空券とパスポートがあれば入場できます。

高校中退、フリーターを得て、なんとかラッキーで入った大学も目的なく浪費した10代。
アルバイトでもこの子、必要?と議題に上がり、就職活動もそれはそれは悲惨なもの。

…はい、私のお話です。

もうこんな自分が嫌だ。そんなことを思っていたこと自体を数ヶ月で笑い話に変えてくれた国と人。
その不思議な魔力は、私以外にもたくさんの人を元気にしていることを何度も何度も見てきました。

そんな自他共認める”ポンコツ”人材が、そんなままでも全然いいと気づかせてくれた場所がある。
そして、それでもちゃんと毎日楽しく、そしてたくさんの人が何もしなくても認めてくれる場所がある。

そんなことを教えてくれたのが、底抜けに楽観的な希望をどーんとぶつけてくれた国、マレーシア。

この国で、人生を、価値観をぶっ壊して変えてゆくのはとっても簡単だったこと。

完全に100%の主観で、そんなマレーシアの魅力をお話しします。

目次

大丈夫、あなたは全然ダメじゃないと教えてくれる国

 
19歳で、初めてマレーシアに短期滞在しました。

この時行ったのはジョホール州。シャワーはコンクリートでできたため池と桶。(当時は)インターネットもない。
そんなマレーシアの集落で異文化交流ホームステイとして1ヶ月過ごしました。

マレー語も、英語もゼロ。
特に賢いわけでもなく、なにか語れるものも全く持っていないようなポンコツ学生。

そんな自分が集落であった人たちは、驚くほどのんびりした”これでいいの。”の天才

お家でゴロゴロすることが最優先な彼ら。私たちより、全然強くてたくましい。

1日3時間、ココナッツ畑からココナッツをバイクで街まで運ぶことで5人家族を養う隣のおっちゃん。
1日10時間、警備服をまとってショッピングモールの前でテトリスしながら9人家族を養う向かいのおっちゃん。
仕事も学校も行かずに、毎日上半身裸で1日30分の散歩以外なにもしない近所の若ぇの。

え。それでいいの?とおどろく私と、そんな私を尻目に毎日本当に幸せに生きる家族。

お下がりを繰り返し破れたTシャツを着て、壊れて動かない自転車で庭でバイクごっこをする近所の子供たち。

ココナッツを1日3時間運ぶ仕事もツラいんだよ。家族を養うって大変なのよと笑って、午後の重要タスク”昼寝”に向かうおっさん。

だって、それでも家族を養えてるから、立派な父ちゃん。立派なスーパーヒーローだと家族が誇る場所。

仕事で、学校で輝かしい実績、あったらいいけど無くてもいいよね。
ご飯が食べれて、みんなが健康ならそれでいいの。
お金はほしいけど、これ以上働いたら疲れるからココナッツ運びでじゅうぶん。

自分には何もない、そんな風に思っていたが過去のことになるようなのんびりした人たちに囲まれて

”そんな立派なTシャツ着て、いい生活じゃないの、おうちに帰ってママと一緒に料理でもつくってあげなさいよ。ママ喜ぶよ。十分立派な娘じゃないか。”

タバコを吸いながらこれはこれはひどい英語で豪快に笑い飛ばすおっさんに、毎日励まされる日々でした。

そこに居るだけで町と人から愛される国

 
”Welcome to Malaysia!!”

すれ違う人が手を振りながらこんな言葉をかけてくれるのは、珍しくない。

田舎の町では日常茶飯事。マレーシアの大都会、クアラルンプールでもたまにこんなことを誰かが言ってくれる国。

新参者のひどい英語でも、何度も繰り返してもらいなんとか聞き取ろうと頑張り、
”英語が苦手?ぜんぜん気にしないで!十分伝わるよ。あなたと話ができて今日はいい日だった”
と微笑みかける全く知らない人。

落ち込んでゾンビのような状態でカフェテリアで紅茶を飲んでいると
”ハロー、もうご飯は食べた?何食べたのー?”とニコニコ話しかけてくる店員のおばちゃん。

たまたま乗ったUberのドライバーが話しかけてきて、今日はいい人乗せた!ありがとうと握手してくる兄ちゃん。

マレーシア人の仕事方法は”スプーンフィード”と言って幼い弟妹を育てるようにソフトに育て、弱い立場の面倒を見るのは当たり前という考えの人が多くいます。

仕事で思いっきりやらかしてこれは後処理が大変だとなったとき
”心配するなシスター。ここから学んでくれればいい。あとはお兄ちゃんにまかせておけばいーの。”
と、終始笑顔で文句ひとついわずにミスをカバーしてくれるマレー人の先輩社員。

落ち込んでも、嫌なことがあっても、知っている人でも知らない人でも必ず誰かが寄ってきては

”あなたが元気出してくれればそれでいーの!”と片付ける人たち。

ちょっとした寝不足なんかでも”おい、お顔が眠たいぞ何があった?”とその日に会う人ほぼ全員に話しかけられ

風邪をひくと頼んでもないのにご飯を持ってきてくれて、なんと一緒に食べると言い出す。
”風邪、うつるからやめとき?”と言うと
”その時はおんなじことを私にやって!ちゃんとご飯を食べるの見届けなくちゃだからね”といたずらな笑顔を見せる友人。

ただ居るだけで、常に誰かが入ってきて、気にかけてくれる日常生活。

街にも、人にも愛されてたんだな。と去る時はおろか滞在中もひしひしと感じる日常がそこにあります。

違いが混沌とする中、自分の違いは直さなくていいと知る国

 
天パが校則違反、あなたの意見はおかしい、君の常識は世間の非常識。
こんな日常の中、”なにがおかしいんだろう?”と疑問に思っていた学生時代。

マレー系、中華系、インド系の3大主要人種のすべてがバラバラの宗教のマレーシア。

マレー系でないマレーシア人は40%ほどで、マレー系も実は移民だったりします。
(※マレー系は公式な主要民族ですが、ほとんどのルーツは数百年~千年以上前にインドネシアから渡ってきた民族です)

純粋な原住民はほんの一握り。宗教はばらばら。民族の数は、200以上。

お酒が重要なコミュニケーションだったり、悪の元凶だったり
牛が神様だったり、ただの美味いメシだったり
同じムスリムでも、祈らないのは悪だったり、べつに神様を信じて善行をおこなっているから戒律は無視してオッケーだったり

とそれはそれは白黒つけられない違いが争うことなく一つのマレーシアというポットの中で平和に暮らしています。

以前、悲しいことに学校で暴力沙汰のいじめにあって、ラマダーン中にお祈りしていたらそのまま亡くなってしまった少年のニュースがありました。

それを見て、ひとりのおばちゃんが”彼は選ばれたのね。何も悪いことしていないから、ラマダーンのお祈りという神聖な時に神様が呼び戻したんだよ。かわいそうじゃない、幸せ者だ。”と言う人がいました。

外国人の私はおろかマレーシア人どうしでもその意見は???と言う人がいる中、その意見が正しいという人が一定数います。
どう思うかは自由ですが、誰も討論せずに、聞いて終わりにします。そんな価値観の違いが同じオフィスの中、同じクラスルームの中で起きます。
(※彼女はいじめを肯定しているわけではなく、神様が連れ戻したというもっと大きなくくりで救われた少年に安心したという意図です)

意見が違う?価値観が違う?
当たり前です。あなたは間違っていない。私も間違っていない。それが違い。それが他人。それでいいの。

ルールも規律も乱立しすぎているので、自分で好きにカスタマイズして自分ルールをゆるく構築してゆけばいいのです。

特別なことをしなくても、楽しく生きれることを教えてくれる国

国立トップの大学をでてイギリスに留学してたくさんお勉強したけど、結婚するので実家に帰って家の前で手作りお菓子売ることにします!

え?もったいない。なんで?家族と過ごせて幸せじゃない?

そんな人、ちょこちょこいます。そしてほとんど誰も反対もしません。だって彼女はそれで満足だから。

この国では、自分にあった価値観の人を選べる違いの多さと、全く理解できない人を放っておく理解があります。
輝かしい経歴や端麗な容姿は必要ないんです。そもそも違う民族が多くて成功の定義も美の定義もまったく違います。

”責任なくお家帰りたいから、これ以上昇進するなら仕事辞めるわー”なんて人もいますし、

”転職でお給料15%くらいあがりそうだったけど、今すぐって言われたのね。そうすると俺だけすぐに引っ越さなくちゃで(片道3時間の距離)、奥さんと2ヶ月離れちゃうんだけど、それは寂しいって言われたから断ることにしたよ。まぁタイミング悪かったよね。”と、転職のチャンスより2ヶ月の別居の回避を優先させる人もいます。

今を楽しんで、自分の大切な人や物のことを最優先に考えて、大切にされるだけで大正解。
楽しいの定義?ものごとの優先順位?それは、自分で決めればいいのです。

だからと言って、相手に何か言うわけでもなく”まぁ、それでもあの人悪い人じゃないからいいか”と、いい意味で諦めます。

何が楽しい、何が成功、何が輝かしい経歴かなんて、ちっぽけな誤差なので、とにかく楽しもうよ。という発想の人に日々囲まれる毎日です。

おまけ:そんな体験をするには、まずは現地に行ってほしい

 
田舎の小さな村のなかでも、マレーシアの大都会、クアラルンプールでも
多様性のなかをうまく泳ぎながら、シンプルに楽しく毎日を過ごす天才に日々触れることのできる国です。

さすがにココナッツ運びは都会ではもう見かけませんが、
集落レベルの田舎や、その付近の小さな町などで似たような生活をしている人はまだまだいます。

これらの人に会い、わぁっと囲まれて、訳もわからぬままいろんな人に話しかけられて…
そんな中でも、基本的にみんな笑顔なので、よくわかんなくても結果なんか楽しかったな。なんてことがよくあります。

オフィスワークに追われた日常でも、何かで思いっきり落ち込んだ時も

ダメな自分を正してくれるのではなく、ダメな自分がダメなままで問題ない環境が日常にあふれています。

温暖な気温のせいなのか、多すぎる違いに生まれた頃から囲まれて居るせいなのか

”目の前のひとが自分に悪意なく接してくれて、楽しい時間を過ごせればそれでオッケー”なのです。

そこに難しいことはなにもなく、ただシンプルに、自分と、目の前の人と(あれば)神様の対話だけでみんな平和に暮らしています。

行くとなぜか元気になるマレーシア。

元気なときはもちろん、落ち込んだ時にもパワーをもらえる魅力に溢れた、不思議な国ですよ*

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